トルコ航空の最近のコマーシャルで、飛行機に乗ったマンチェスターユナイテッドのサッカー選手たちがスチュワーデスが開けた上部クローゼットからサッカーボールがこぼれ落ちたことを期に飛んでる機内でサッカーボールで遊び始めるというのがある。
奇抜なアイデアで面白くて好きなCMなのだが、はたしてこれをJALがやったらどうなるんだろうと思ってしまう。きっと機内でボールで遊ぶCMは子供がマネするからだめだとか言い出されてボツになってしまうのでないだろうか?
大人から見ればこうしたウィットにとんだ楽しい発想のものさえも過剰に反応する保護者に配慮した関係者に規制されてしまうんだろうな。
自己判断力と自重能力を自分以外に転嫁して責任判断から逃れようというのが日本独特の社会のありかたで、個人の責任範囲、監督範囲でおぼつかないことは、法令でもつくって自分で対処しなくていいように世の中の方が曲がっていってしまう。
ところで都条例の表現規制の件だけど、なにをわいわいがやがややってるんだかと当初から大人しく眺めていたが、どうやら本決まりなようだ。 この件にかかわるつもりはないので簡単に雑感だけ書いておく。
本件の主役は子供の教育上よくないと主張する親達であり、その背後にいる性的な描写が異常性欲者を生み出し性犯罪の増加につながると思っている人達と、その代弁者でありかつ実際の規制を審議する都議会、それとその規制を受ける出版社、漫画家、それを支援する人達がいると思う。
僕の狭い観測範囲だと後者の意見ばかりが目立つのだが、そのおおむねは表現の自由の侵害と、性犯罪と漫画表現の因果関係は直接は証明できないものである というのが主旨のようにみえる。
もっともな意見だとは思う。
が、しかしこの件の主役は前者なのだ。 個人的な交遊から知り得た体験話(つまりよっぽど親しい人以外には話さないたぐいの話)によると、実際に幼少期に多少なりとも性的な犯罪行為を受けた経験をもつ人はかなりの確率でいる。それはおそらく統計ではあらわれない以上にいるものだと思っている。
こうした辱めをうけてそれを他人に対して口に出せないほどの人達、もの言わぬ多数の代弁者として議会がそれを裁定しようということであって、具体的な行動アクションのひとつとして今回の規制があるのではないだろうか?
規制反対論者の中にもそういった人達に配慮した発言をするものたちも見受けられる。 が、僕のようにハタから眺めてみていると非常におかしいことなんだが、反対論者の多くはは自分たちが被害者気分になってはいないか?ってこと。表現の自由が侵害されて自分たちの楽しみがなくなるとしか言ってるようにしかみえない。 表現の自由なんて文言もハタからみると理屈にしか見えない。
もし前者に対して配慮するなら、単に自分たちが規制されることに反対するだけではなく、どうしたらそのような性的犯罪の増加を防げるかということの具体的な提案をあげて一緒に考えなければならなかったのではないだろうか?
なのでまぁ雑感としては、今回の件は、こういう結末になることは当たり前だろうし、反対論者は、そもそも反対する相手を取り違えて、しかも利己主義を振り回してしまったなぁというのが感想です。 本当は規制なんかなくても大丈夫な世の中ならいいんだけどね。