iPhone vs 携帯文化

携帯文化ってなんだろうか?(この言葉時代大人の決めつけだとは思うのだが)
ようは携帯しか使わない人たちがつくりだした文化なのだろう。

自分が普段携帯を使ってないので想像の範囲内でしかないのだが、

無数の友達同士のクローズドな小さなコミュティが存在する。
それと携帯向けサイトというシステム的に決められたものなかで使うという拡張性に限界がある世界での文化。

というイメージがうかぶ。

手軽に友達同士と連絡がすぐにとれて、それと基本的に簡単なつくりになっていて、特に考えなくてもそれなりのことはできるようになっている。

というポジティブな見方もできるが

反面、弊害として考えられることは、

閉じた小さなコミュティの中で育つことによって社会性や公共性の発展が阻害され、犯罪・イジメ・不純異性交遊のるつぼ化となるのではないかということ。
システム的に決められた中で育つことにより、自分で調べるとか創意工夫をするという能力が育たないのではないかということ。

そして大人達の視点(w)からは中身が見えないブラックボックスのような存在(見えないものわからないもの)に対しては警戒心 時として恐怖心を持つのは当然で、ならば規制をかけてしまいましょうってのはすごく当たり前のような気もしないでもならない。

いや本当にそうか?

最近, iPhoneを使い出して思うのは、WEBと直結した音声映像デバイスには、まだまだ無限の可能性があるなってこと。 
例えばPhotoShareなんかを使っていてみかけるのは、若い子はあのシステムを掲示板的に手書き文字で彩って使ってたりする。 僕らの考えていた使い方とはちょっと違っていて、でもすごく楽しそうに使っている。
思えば、いつの時代も新しい試みとは若い人間が産み出してきている。 それは僕が若い頃もそうであったし、思う限り今に至るまで、本当に新しいものってのは若者の行動力によって産み出されてきたような気がする。

絵文字なんて決められた記号なんかよりも、手書きの文字のほうがずっと親しみやすいし、自由だよね。 僕ら大人ができることってのは実は規制するよりも、もっと広い世界、自由な世界に若者を導いてあげることじゃないんだろうか? 

iPhoneというのはそういった広い世界、自由な世界、創造力をもっと発揮できる場所へ連れて行ってあげるための手だてとなり得るのじゃないのかな?

そんなわけでソフトバンクは小手先の値段改定なんかやるんじゃなくて、もっとがんばってホワイト学割をiPhoneに適用するとか、 そこまでやるんだったら大人はもうちょっと高い料金でも払うくらいの器量はみせるんじゃないだろうかね。

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