いまさらだが「日本語が亡びるとき」を読んだ
思ったのだが、作者の危惧以上に日本の若者のほうがしっかりとしているように思うのだが、、
インターネットというものが一般化していくと、世界で使われる言葉とはどうなっていくかということについては、気づく人はとうに気づいていて、ぼくも何年か前から改めて英語の再学習と実践的に使うために、そのような機会や場所に積極的にでかけていったりはしていたのだが、思うにみんなしっかりとしているなということ。
ぼくが子供の頃、洋楽に興味があって、そのような情報を得ようと思っても、そうした情報源はラジオから流れてくるつたない話や、何か毛月も遅れて翻訳されたして少し遅れて雑誌に掲載された情報や、人づてに伝わってくるウソだかホントだかわからないような話ばかりだったのに、今は最新の出来事が、そうした中間流通者の手を経ないでダイレクトに、その語り手により伝えらる。多くの人に伝えるためには多く流通している言葉で発信するという あたり前のことによって、その情報の受け手も必然的に多く流通している言葉を取得する方が、より迅速に、よりダイレクトに最新の情報を得られる。 と最初に英会話学校に入学したときに話したことを思い出しましたよ。w
作者のこだわりである書き言葉としての国語の存続という問題に関しては、近代文学を読ませるということだけではなく、やはり書くこと、文章を書くということが、言葉の使い手としては最低限持ってなければならないスキルなのかなと思うので、その中で切磋琢磨されていくのが必要かなと。
本として読むべき価値があるかどうかは別として、英語というものが普遍語として流通する時代になっているという認識はきちんと持っておくべきかも。